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農民たちの自衛を目的とした抵抗の土着武術
田谷の棒術は水戸市の無形文化財で、田谷の棒術は正式名称を「無比流兵杖術」といいます。その流祖は、関ヶ原の合戦に出陣した黒田家家臣の槍の名人、佐々木哲斎徳久といわれています。
田谷の棒術は1783年(天明3年)の天明の飢饉による混乱の真っ只中、食糧を狙う野武士や盗賊の侵入を防ぐための自衛武術として伝わりました。水戸藩下の48か村をはじめ、現在の大洗町やひたちなか市の農民や漁民の間に広まっていきました。
とにかくその棒術は実戦的そのもので、太刀や槍を持った野武士や盗賊から身を交わすための訓練を重視しています。
さらに「声」も相手を威嚇するために重要な「武」として活用するよう教えられ、「ハァー!」「ヤァー!」と鬼気迫る迫力で発せられる悲鳴のような声が田谷の棒術の特色です。
これは普段戦ったことがないような農民や漁師たちが、自分を奮い立たせるための気合でもありました。
決して支配や略奪されるばかりではない、水戸の民たちは自衛の武力として田谷の棒術を伝承し続けてきていたのです。
幕末の水戸藩は藩士たちばかりではなく、百姓や漁師なども多く活躍している背景にはこのような武術の歴史もあったのでした。
住所 | 〒311-4204 茨城県水戸市 田谷町 |
アクセス | JR水戸駅北口より車で15分 |