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【水戸】水戸人からみた水戸斉昭こと徳川斉昭(烈公)【徳川斉昭】

まいぷれ水戸編集室

水戸斉昭こと徳川斉昭(烈公)「【水戸】水戸人からみた水戸斉昭こと徳川斉昭(烈公)【徳川斉昭】」

水戸斉昭こと徳川斉昭(烈公)

こんにちはまいぷれ水戸編集室です!
 大河ドラマ『青天を衝く!』で注目されているためか、まいぷれ水戸でも「水戸斉昭」で検索して来る人が大変増えてまいりました!
 そこで、まいぷれ水戸編集室としては、水戸人から見た水戸斉昭こと烈公徳川斉昭(以下、斉昭)という人を紹介していきたいと思います!

水戸斉昭さんの本質は経世愛民の内政家!

 一般に尊皇攘夷総本山である水戸藩の過激派君主として知られている徳川斉昭ですが、水戸から見るとその業績は外征というより、内政についての事績が目立ちます。
 徳川斉昭が藩主になるまで、水戸は藩の会計の三分の一を費やしていると言われる『大日本史』の編纂事業、江戸藩邸と水戸藩邸の両方に御三家の格式を持つ藩邸と藩士を維持する人件費、水戸と江戸の藩士たちの派閥争い、尾張・紀伊家が50万石以上あるのに、35万石で御三家の格式を維持するなど、様々な財政要因が重なって、財政的にはほぼ破綻してしまっていました。
 そこで犠牲になるのは平民たちで、高い租税や厳しい取り立て、そして天保の飢饉、そして江戸が近いこともあって、水戸藩は領民が慢性的に逃散してしまい、水戸藩の人口は低下する一方という悪循環に陥っていたのです。
 ここで藩主になった斉昭は、大規模な藩政改革を行います、まず『愛民専一』を力説し、水戸の領民たちが反発していた制度「三雑穀切り返しの法」を廃止します。
 三雑穀切り返しの法とは水戸藩が財政赤字で埋めるために、大豆、稗(ひえ)、荏(え)の三雑穀に対して秋の収穫時に安価で買い上げ、春の種まきの時期に高く売りつけその差額を納入させるという領民たちを圧迫する制度でした。
 そして財政の圧迫の原因となっていた江戸に常駐する藩士を、水戸からの交代制とし、水戸勤務の藩士が江戸勤務の藩士に差別されないようにしました。
 とはいえ、これらの改革は保守派の重臣たちの反発を受けて、藩士の交代は8年、三雑穀切り返しの法の廃止には15年近くかかっています。いかに内政の改革が大変かがわかりますね。

水戸斉昭の四大改革!

 それでも斉昭は、藤田東湖、戸田三太夫などの少壮の官僚たちを抜擢し、さらに四大目標を掲げて改革を勧めていきます。
・「経界の義」では大規模な水戸藩領の検地を行い、財政を明確化すること
・「土着の義」は藩士を水戸から各地の農村に土着させ武備の充実と武士と農民の関係を強化すること
・「学校の義」は藩校である弘道館を建設し、各地に郷土の郷校を作ること
・「総交代の義」では江戸定府を廃止し交代制にすること
 この4つを柱として斉昭は、内政の立て直しをはかるのです。
 これらのうち注目すべきは「経界の義」で、斉昭は領内の検地を行い今まで報告していた、41万8300石から31万7000石に大減収します。これは農民たちに有利な検地を行ったためであり、さらに言えば形式的に見逃されていた隠し田や畑税の改定を行い、数値上は大減収となったものの実質的には増額になったという、「良い意味でのリストラクチャー」になったのでした。
 領民を大事にすることで税収を上げ、曖昧にしていた帳簿上の数字を明確にすることで結果的に水戸藩は黒字になり、また逃散する農民も減って水戸藩の人口も増加します。

幕府に対して領土を要求しつつ援助金をゲット!

 さらに斉昭は減収になったことを政治的にも利用します。斉昭は、31万石では御三家の格式が保てないとして、幕府に鹿島と行方の両郡を水戸藩に編入し、また蝦夷地の開発権を要求するのです。
 これらは結局の所、実現はしないのですが、その見返りとして水戸藩は幕府から5年間5000両ずつの援助を得られるようになったのです、斉昭の政治的な強かさをうかがえますね。
 その他、、タバコ、茶、こんにゃくなどの専売を江戸の会所から、町奉行と郡奉行の担当にして生産と流通の簡便化と効率化、そして地域密着による商品の開発を行わせるのです。このあたり、現在の地方再生につながる政策ですね。
 こうして、財政を再建した斉昭は、弘道館を開設し各地に郷校を作って、藩士や領民たちの教育水準を上げています、さらに江戸の藩士2500人のうち200人を水戸に帰らせて現在の末広町に隣接する新屋敷という地に住まわせます。

今の水戸市秋成町は水戸斉昭さんが作った!

 また斉昭は現在の水戸の東南涸沼縁の湿地を灌漑し、秋成新田という新しい村を開墾します。この新田の開墾には斉昭が開発した揚水機(雲霓気)が使われたと言われており、発明家でもあった斉昭の発想が伺えます。
 その秋成新田は、現在も水戸市の秋成町として残っており、新しい領土に移り住んだ人々が定着していったことがわかります。
 こうして、崩壊寸前であった水戸藩の財政を地域密着型の政治と、腐敗の防止や倹約やリストラなどで黒字にした斉昭は、偕楽園の造成や弘道館の整備、藩全体における郷校、ひたちなかの敬業館、常陸太田の益修館、日立市の興芸館、東茨城郡の時雍館などが築かれていくのです。
 他にも藩の様式軍備の整備とともに千束原の追鳥狩(軍事訓練)などを行い武備の充実と藩士たちの引き締めを行うのです。この千束原の追鳥狩は全国から見物人が集まり、日本中に西欧に対抗する軍備の充実に影響を与えていきます。

実は水戸黄門よりも水戸斉昭が今の水戸市の基礎を作った!

 このように水戸藩は、いちばん有名なのは「水戸黄門」こと水戸光圀ですが、現在の「水戸市」の基礎を作ったのは、徳川斉昭だと言っても過言ではないほど、その影響が現在でも残っています。
 実際、水戸の観光名所の偕楽園や弘道館など、水戸の名所や名物は驚くほど斉昭の影響が残っています。
 こうした、水戸藩の内政の立て直しは、幕府の水野忠邦の天保の改革や、全国の財政難にあえいでいた薩摩藩や長州藩や会津藩などの雄藩へ影響を与えていきます。
 とかく「尊皇攘夷」というイデオロギーで語られがちな水戸斉昭と水戸藩ですが、その本質は「いち早く財政改革と内政の整備に成功した藩主と藩」であり、こうした内政の充実が背景にあるからこそ、幕末に水戸斉昭が「烈公」として名声を集めていったのです。
 こいした事績から、水戸では水戸斉昭は「水戸の基礎を作った人」「崩壊寸前だった水戸を救った藩主」として今も尊敬されている人物であり、その事績は今も観光名所である偕楽園や弘道館の観光遺産として水戸人は今もその恩恵に預かっているのです。
 またその政策は今の地方再生に繋がるものがあり、今こそ斉昭の内政について研究を薦める時代なのかもしれません!
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名称まいぷれ水戸編集室
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住所310-0852 水戸市笠原町361
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