まいぷれ水戸編集室です!
大河ドラマの『青天を衝く』水戸藩の歴史を描いてくれてうれしくなりますね。
今回は水戸の俊英藤田東湖さんがクローズアップされていたので、そのお話を。
実は藤田東湖は水戸藩の藩士として知られていますが、生粋の武士の家系ではありませんでした。
元々藤田家は水戸城下の奈良屋町(今の宮下銀座あたりです)という花街で屋号「藤田屋」という古着屋を営んでいました。
実は士分の出身でなかった藤田家
そして父の幽谷は小さな頃から神童のほまれ高く、立原翠軒の私塾に入門し、さらに彰考館の館員として学者として頭角を現していきます。
そうした俊英ぶりから水戸藩の士分として取り立てられるのですが、もともとが生粋の武士でなかったあたり、もともとが農民であった渋沢栄一と重なるものがありますね。
そんな父を持つ藤田東湖は父である藤田幽谷の後継者として、彰考館編集や彰考館総裁代役などを歴任します。
そして徳川斉昭の側近としてその藩政改革に従事し、自ら水戸藩の領地を回って改革を指導しています。
そんなときのエピソードで、倹約や役人の汚職を一掃するために名主や庄屋を訪れても接待などがゆるされず、生来の酒好きであった藤田東湖は、冗談交じりに「朝に山下の宅を辞し、夕に谷辺の家に宿っても、荒村では茶を飲みも芋や栗を食いも田舎老爺から田畑の作物の話を聞くばかり。以前権勢の役人が管弦歌舞を楽しんだのとエライ違いだ」となげいたりしています。
学者として知られる藤田東湖ですが、水戸藩ではこのように庶民に接しながら斉昭の言う「愛民専一」の魁となって地元を回っていたことが伺えます。
よく水戸学はイデオロギーの学問として知られますが、その根底にはこういった「愛民専一」で役人と言えども接待を受けない、実学としての面があるのは覚えていて欲しいところです。
武士ではないので天狗党を自称
もともとが武士でないためにいろいろな所で軽んじられることもありましたが、それだけに民を愛する気持ちはとても強い人物であったようです。そんな彼らは天狗になってるとよく言われ、天狗党の由来の一つになっています。
その後、藤田東湖は徳川斉昭に信頼され、その補佐役として頭角を現し、側用人まで出世して幕府の政治改革にも携わっていきますが、安政の大地震に遭いわずか50歳で死去してしまいます。
そのときの有名なエピソードに、地震発生時に東湖は一度は脱出するも、火鉢の火を心配した母が中に戻ってしまうと、東湖もそれを追い、落下してきた梁(鴨居)から母親を守るために自らの肩で受け止め、何とか母親を脱出させるが、自身は母親の無事を確認した後に力尽き、下敷きとなって圧死したというものがあります。
生粋の武士の家系でないながら、最後まで水戸藩に尽くし、母を守った彼は、儒学の孝子として今も讃えられ、水戸では今でも慕われており、常磐神社の近くに東湖神社が創られ、水戸の人々は彼を祭神として祀っているのでした……。
『蒼天を衝く』は「出世人」に注目!
幕末には同じように武士ではないながら武士として取り上げられる人物が渋沢栄一をはじめとして、近藤勇、伊藤博文など多数登場します、彼の藤田家もそんな家として大河ドラマを彩る「出世人」として『蒼天を衝く』に登場しました。
大河ドラマを見るのに、そんな「出世人」に注目してみるのもいいかもしれません。