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日立艦砲射撃

水戸の老人たちが「空襲より恐ろしかった」という艦砲射撃

日立空襲艦砲射撃慰霊碑「陶輪碑」

総務省ホームページより転載

茨城県は広い海岸線を持つ県であり、日立市と勝田市(ひたちなか市)には日立製作所の工場地区があったため、これを沈黙されるために日立市を標的とした艦砲射撃が1945年(昭和20年)7月17日深夜から7月18日未明に至るまで行われました。日立市を標的とした艦砲射撃が1945年(昭和20年)7月17日深夜から7月18日未明に至るまで行われました。
この艦砲射撃のため、茨城沿岸部の日立沖にはアメリカ海軍第三艦隊の第34.8.2任務隊所属の戦艦5隻ウィスコンシン、ミズーリ、アイオワ、ノースカロライナ、アラバマ、軽巡洋艦2隻、駆逐艦9隻の計16隻、イギリス海軍の戦艦キング・ジョージ5世ほか駆逐艦2隻が、まず多賀地区、続いて勝田地区への艦砲射撃を行ないました。
多賀地区では日立製作所多賀工場に530発、同電線工場に126発、同山手工場に89発、日立鉱山電錬工場に125発の合計870発の16インチ対陸上砲弾が撃ちこまれました。
この砲弾の大部分は工場外の住宅地に落下し、全壊637棟、半壊1059棟、死亡者317人、重軽傷者367人、行方不明者9人の被害を出しています。
この艦砲射撃は水戸市内の吉沼地区も被弾し21名の死者を出しています。
ほぼ丸一日続いた艦砲射撃の轟音は茨城県全土に響き渡っており、茨城の戦災経験者の老人たちは口を揃えて「すぐに終わった空襲より、いつまで経っても終わらない艦砲射撃の方が恐ろしかった」という心理的打撃を与えています。
茨城は空襲の他に艦砲射撃という空と海から攻撃を受けた数少ない県であり、その経験はけっして忘れてはならない戦災の記憶として残しておくべきでしょう。

住所 茨城県日立市西成沢町2-11 日立空襲艦砲射撃慰霊碑「陶輪碑」
アクセス JR水戸駅より徒歩で約9分