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満蒙開拓青少年義勇軍

五族協和、王道楽土、満州国建設と教えられ、現地で散っていった青少年たち

1931年(昭和6年)に起きた満州事変から1945年(昭和20年)の日本の太平洋戦争敗戦時に至るまで「満蒙開拓団」と呼ばれる入植者たちがいわゆる「満州国」とモンゴルに送り出されました。
そんな中で「満蒙開拓青少年義勇軍」という制度が生まれました、これは日本内地の数え年16歳から19歳の青少年を満州国とモンゴルに義勇軍として送り、入植と治安維持に当たらせようという制度です。

1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)の敗戦までの8年の間に8万6530人の青少年が送られました。

そして彼らは全国から内原の訓練場に集められ、開拓訓練と軍事教練を受けたのでした。

敷地は40ヘクタール、300余棟の日輪兵舎と呼ばれる独特の形の兵舎が林立し、数千人もの青少年が2~3ヶ月間基礎的訓練を受けて満州に送られました。
この訓練施設が今も内原の各地で再現されていますが、もっとも目につくのが「日輪兵舎」と呼ばれる木造の独特の兵舎でしょう。

これは標準形でおよそ60人を収容できる宿舎で、建築の素人である訓練生が自力で建てられることを念頭に設計されており、建設費用を抑えための工夫が凝らされていました。
兵舎から農業や治安維持まで、なにもかも自給自足できるように訓練されたというわけです。

こうして軍事から開拓や愛国精神に関する訓練をされた少年義勇軍たちは、内原駅から「五族協和、王道楽土、満州国建設の大志を抱いて 民族を越え戦争のないすばらしい村づくり」を夢に海を渡った送られていったのです。

しかし、それは結局の所、植民地政策でしかなく、彼らは理想と現実の違いに戸惑ったことでしょう。

そして、ソ連の参戦と日本の敗戦によって、満州とモンゴルの地は戦火に巻き込まれ多くの少年たちが犠牲になっていきました。

内原には、そんなかつての大日本帝国の負の遺産を今に伝える施設や慰霊碑などが、各所に残っているのです。

住所 〒319-0315 茨城県水戸市内原町1497−16
アクセス JR内原駅より車で約5分