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水戸の観光・名所・名物を巡ってみよう

水戸という地名の由来

那珂だったり江戸だったり三戸だったりした水戸

「水戸」という名前が現在の水戸周辺を表すようになったのは比較的新しく、15世紀ごろ江戸氏がこの一帯を支配するようになってからです。
とはいえ、水戸、ミトという名前時代は古代からあって、那珂川と旧千波湖との間に突出した、現在の水戸城跡一帯の台地がミトあるいは水戸と呼ばれていたようです。

ここには古代から太平洋から那珂川に入る湊があったため「湊(ミナト)」がミトと呼ばれるようになった説と、水門(ミナト)があったためにミトと呼ばれるようになったという説があります。
ともあれ、「水戸」は那珂川と千波湖の間の台地の限られた地域の地名であり、那珂川の河川港で働く「川辺の民」に由来する川辺郷とも呼ばれていました。
現在の水戸市となる地域は、行政区分として奈良時代の律令制度において「那珂郡」あるいは「那賀郡」と呼ばれていたようです。
確実な資料に現れる「水戸」という地名は鎌倉時代の元と見られる「吉田神社次第写」にある「水戸宮」という言葉が残っており、水戸台地にあった水戸明神に当たると考えられています。

水戸が江戸? 江戸が水戸?

このような背景から15世紀に水戸台地を本拠とした江戸氏がこの一帯を支配するようになると、那賀郡からこの地域を「水戸」と呼ぶようになった模様です。

また面白いのは、水戸と併用して、この地域は「江戸」とも呼ばれており当時は、水戸と江戸を併用していた模様です。
さらにややこしいことには、江戸氏が滅ぼした佐竹氏が常陸一帯を領有するようになると「三戸」と呼ばれるようになり、「水戸」よりも「三戸」の用例が多くなります。
結局城府として水戸一帯が「水戸」と定められるようになったのは十七世紀の徳川氏の時代になってからであり、正式に水戸が「水戸」になったのは、水戸徳川藩の時代になってからと考えられています。

住所 310-8610 水戸市中央1-4-1
アクセス JR水戸駅南口より車で5分
開館時間

月曜日~金曜日(祝日・12月29日から1月3日を除く)

8:30~17:15

駐車場

有り

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