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栗田健男

レイテで謎の栗田ターンを行った人物は水戸藩士の末裔


栗田健男は1889年4月28日、茨城県水戸市で生まれます。

祖父には栗田寛という『大日本史』を現在に残る形で完成させた水戸学の学者人物がおり、父も『大日本史』の編纂者の一人でした。

水戸藩士の家系に生まれた彼は、無骨と不言実行という水戸藩の気風を叩き込まれて育っています。
その後、旧制水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を経て、海軍兵学校に入学して海軍軍人となります。
成績は優秀で、卒業後、少尉候補生となりその後も順調に昇進し、太平洋戦争当時には少将に昇進し四水雷戦隊司令官に任命されています。
太平洋戦争では、マレー作戦、バタビア沖海戦、アンダマン攻略、インド洋作戦などに参戦し中将に昇進、ミッドウェー海戦には攻略部隊支援隊として参加しています。
慎重な指揮官としてときとして戦意のなさを批判されていますが、その是非は専門家でも議論が分かれています。
ともあれミッドウェー作戦を機に敗色濃厚となっていった日本海軍の司令官の一人としてガダルカナル島ヘンダーソン基地艦砲射撃作戦を指揮し戦果を挙げるなどしており、基本的な有能な指揮官であったことは確かだったのでしょう。

謎のターンは勇気のなさによるものではない?

そして運命のレイテ沖海戦において栗田健男はレイテ湾突入という作戦目標を果たせず後世「謎の栗田ターン」と呼ばれる行動をとってしまいます。
この「栗田ターン」についての是非は、現在でも議論が分かれているので、ここでは結論は述べません。
ただ、彼は水戸藩士の末裔として、その水戸武士の気風を受け継いだ人物であったという事を、議論の種として「水戸人としての栗田健男」を考察してみてはどうか? と提示しておくにとどめたいと思います。

勇気という点では他国よりも血気盛んであった、ありすぎた水戸藩士の血と教育を彼はうけついでいるのですから……。

住所 〒183-0002 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園に埋葬
アクセス JR水戸駅より車で約2時間14分

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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