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栗田寛

大日本史の最後の仕上げを行った偉大な歴史家

栗田寛は幕末水戸藩に仕え彰考館に出仕していた学者で、徳川光圀以来の水戸藩の修史事業であった『大日本史』を完成させた人物として知られています。
『大日本史』が目指した「紀伝体歴史書」は司馬遷による『史記』の著述法を基本としています。

その中には、帝や王の事跡を記した『本紀』

諸侯たちの事跡について記した『世家』

臣下たちや歴史上特筆すべき人物の事跡を記した『列伝』

各種の年表や月表、官位などについて書かれた『表』

天文・地理・礼楽・制度など、分野別の歴史を記した『志』

があり、栗田寛の時点では『大日本史』は歴代天皇の『本紀』と様々な人物を描いた『列伝』が完成していました。

栗田寛は『志』と『表』、特に神話に関する研究には欠かせない『神祇志』が欠けている事で『大日本史』が正史としては未完成であることを嘆いていました。
彼は『大日本史』に『志』と『表』を入れるために活動してましたが、徳川斉昭と藤田東湖が世を去るとともに水戸藩は血なまぐさい闘争の時代に入ります。

彼は政争に関わらず、彰考館の維持に尽くしましたが、理解されず野に下りました。

『大日本史』の最後の仕上げを行った人物

その後、政争が一段落した明治後に念願の『大日本史』の『志』と『表』に取り掛かることができるようになっています。
彼は1871年(明治4年)に『刑法志』の刊行を行い、1875年(明治8年)に官職を辞職して『大日本史』編纂に専念、『仏事志』、『職官志』、『氏族志』、『礼楽志』、『食貨志』などを刊行します。

すでに彼にとって『大日本史』に『志』と『表』は欲得を離れたライフワークになっていたのです。
そして彼は『大日本史』一部の校訂などを残してほぼ完成させ1899年(明治32年)に栗田は63歳で死去。

明治天皇に『大日本史』完成の上奏がなされたのは、栗田の死から7年後。

『大日本史』が歴とした「紀伝体歴史書」の正史として完成したのは、彼の無私の尽力があったからという他ありません。
徳川光圀が志した日本の正史『大日本史』は、正式には1906年(明治39年)に10代藩主慶篤の孫にあたる徳川圀順が完成させています。

実に数えて261年(満260年)の歳月をかけて編纂された『大日本史』を、最後に仕上げたのは栗田寛という人物であったのです。
各時代の官職や習俗などが記された『志』と『表』は、後世の日本史家にとっても大変貴重な資料となり、現在も研究が続けられています。

そんな彼の像が今水戸市の下市商店街に存在し、彼の功績をたたえています。

住所 〒310-0815 茨城県水戸市本町3丁目2
アクセス JR水戸駅より車で約6分

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。