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朱舜水

実理・実行・実用・実効という水戸学思想の基礎を作った明の遺臣

亡国の明を再興するために日本を訪れ水戸に仕えた明の遺臣

朱舜水は中国の明国生まれの学者です。彼は李自成の乱により1644年(崇禎17年)に明朝が滅亡した後に、清朝の侵略に抵抗し中国南部での明朝再興運動に参加していた人物でした。
朱舜水と日本の関係は鄭成功が鎖国政策下の日本で、明再興の救援を求める日本請援使として派遣されていたことに始まります。なんと4度も日本に渡って救援を求めていますが果たせず、1659年(万治2年)に南京攻略戦に敗退すると明国再興を諦め日本に亡命します。60近い年齢になっていた朱舜水でしたが、その学識を求めて諸藩から招聘されますが、1665年(寛文5年)6月に水戸藩主の徳川光圀が彰考館員の小宅処斎を派遣して舜水を招聘し、同年7月には江戸に移住することになったのです。
朱舜水は朱子学と陽明学の中間にある学問を説いたとされ、彼は実理・実行・実用・実効を重んじました。水戸学の基本である学問を実学とする動きは、この頃から始まり九代藩主徳川斉昭の代で実際に政治思想として実行されています。
『大日本史』の編纂に参加した安積澹泊、木下道順、山鹿素行らの学者らに漢籍文化を伝えたのは朱舜水の功績であり、大日本史や水戸の文化財に多くの漢籍が残されたのも、彼の遺風あってのことだと言えるでしょう。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。