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徳川頼房

水戸っぽの血気盛んさを具現化した水戸藩藩祖

一度でも「天下人」になれれば命も惜しまなかった少年

徳川頼房は1603年(慶長8年)に徳川家康の11男として生まれます。
彼には幼少の頃こんな逸話が残されています。駿府城の天守閣に家康が後の尾張藩主徳川義直、後の紀伊藩主徳川頼宣と後の水戸藩主徳川頼房を伴って登ったとき、戯れに「ここから飛び降りた者にすきなものをやろう」と言った所、頼房は「私が飛び降ります!」と言ったそうです、驚いた家康に「何が望みだ」と問われた頼房は言下に「天下」と答えました、この言葉に家康は「天下をとっても死んではなにもなるまい」と聞くと、頼房は「一瞬でも天下取りになれば歴史に名が残る!」と答えたと言います。
このエピソードが示すように徳川頼房は若い頃から血気盛んで知られていたようで、若い頃から傾いた服装や刀を好んだため家老の中山信吉が死を賭して諌めたと言います。

天下の副将軍と呼ばれる剛毅さ


その剛毅さは、三代将軍家光に信頼されたようで、「そなたのことはわけても心安く思い、何事も相談したいと思っている。兄弟はいても役に立たないので、そなたのことを兄弟同様に思っている。そなたもそう心得て欲しい」と、江戸に定府するように要請されたという書状が残されています。
有名な「水戸は天下の副将軍」という異名は、決して正式な称号ではありませんが、この書状と江戸に定府していた事から言われた民間での異名だったようです。
また従三位権中納言となった同日に外様藩主である加賀藩主前田利常や薩摩藩主島津家久、陸奥仙台藩主伊達政宗も従三位権中納言となったことに不満を持ったため、翌年早々に正三位に昇叙する。これ以後、同水戸藩は三位権中納言となったというエピソードが残っています。
このように血気盛んで、他人からナメられる事を嫌うあたり、水戸市民から見ても典型的な「水戸っぽ気質」であり、いかにも水戸藩の藩祖らしい人物であったと言えるでしょう。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。