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水戸の観光・名所・名物を巡ってみよう

徳川斉昭

水戸を財政崩壊から救った救世主

水戸の思想の中心的存在

「水戸黄門」こと二代藩主徳川光圀(義公)と並んで水戸藩の歴代藩主の代表とされているのが、水戸藩九代藩主徳川斉昭です(烈公)です。
全国的な知名度で言うと、徳川斉昭は徳川幕府を終わらせた徳川最後の将軍徳川慶喜の実父という印象しかないかもしれません。もう少し歴史について詳しい人からすると、幕末に吹き荒れた尊王攘夷の総本山である水戸とその思想の中心的存在であったということも知っているかもしれません。
しかし、地元水戸の人間にとっては、それ以上に大きな意味を持つ存在なのです。

「財政破綻」「人口減少」を救った藩政改革

徳川斉昭の水戸にとっての最大の功績は、水戸徳川藩が格式を保つために財政危機にあった上に、二代藩主徳川光圀の『大日本史』の多大な負担により、財政破綻状態にあった水戸藩の財政を建て直したことでしょう。
徳川斉昭は大規模な藩政改革を行い、全領土の検地の見直し、藩士の土着化と開墾、、農村救済に稗倉の設置、特産物の専売制などによる財政改革を行います。この改革は十分には行えなかったものの、ともあれ水戸藩の財政は上向きになり、それまで領民の巨大な負担による一揆や逃散などによって減り続けていた水戸藩の人口は回復していくことになります。
つまり、水戸藩は徳川斉昭が行った藩政改革がなければ、財政も人口もジリ貧となり、完全に崩壊していたとさえ言えるでしょう。こういった斉昭の藩政改革は、徳川本家の幕府が行った天保の改革にも影響を与えています。
その他にも、偕楽園の造園や藩校弘道館及び郷校建設などの文化事業を行い、大規模な軍事訓練などにより、水戸藩を文武両道において充実させていきます。

烈公が作った水戸のイメージ

その結果、水戸藩は徳川斉昭の時代には全国でももっとも先進的な藩となり、全国各地から藩士たちが送られて、水戸藩の藩政改革について学習することになります。その結果、水戸藩の思想である尊皇攘夷を中心とした水戸学が全国に広まっていくことにより、水戸の思想が江戸幕府を崩壊させるきっかけともなっていきます。
ある意味、有名な徳川光圀よりも水戸にとっては重要な人物であり、彼が建造した偕楽園や弘道館や好文亭は、今も水戸の文化的名所として観光資源になっています。
そういう意味ではほんとうの意味での「水戸藩」のイメージを作ったのは、彼であると言っても過言ではないでしょう。

住所310-0011 茨城県水戸市三の丸1-7
アクセスJR水戸駅南口より徒歩7分

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