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千束原追鳥狩本陣跡

水戸藩の危機感が生んだ一大軍事演習

徳川斉昭水戸藩の軍事力の充実のために、千束原(現在の酒門町)において「追鳥狩」と呼ばれる一大軍事訓練を行ないました。1840年(天保11年)年3月、その第一回目は「騎士三千、雑兵およそ二万」と言われるほど大規模なものであり、天保期に五回、安政期に四回も行われました。

一大軍事演習には太平洋に面した水戸藩ならではの危機感が

斉昭が慢性の財政難にある水戸藩において、このような大規模な軍事訓練を行った背景には、長い海岸線を持つ水戸沿岸の各地で外国船の姿が見られ、鎖国政策の継続に危機感を抱いていたというものがあります。

さらに1824年(文政7年)にはイギリス人12人が上陸してくるという事件が起こり、海外に対して危機感が大きかったというものがあります。

また、領内でも大田村(現在の常陸太田市)において1771年(明和八年)に鋳銭座一揆と呼ばれる約3万8000人もの規模になった大一揆が起こっており、藩内の統制力が衰えていた事が挙げられます。

当時の観光資源にもなっていた軍事演習

このような内憂外患に対して軍備の充実の必要性を痛感した斉昭の行なった軍事訓練が追鳥狩でありましたが、兵士2万、騎馬隊3000人も集まる軍事演習は全国でも珍しく、回を繰り返すごとに見物客が水戸藩内外から集まり、水戸藩の軍事力の示威活動にもなりました。

この一方で斉昭は旧来の鉄砲隊が役に立たない事を知り、鉄砲隊の充実に力を入れ、砲術の改革なども行なったのでした。

現在、千束原追鳥狩本陣跡は常磐神社の末社となり徳川斉昭の功績を祀った小さな神社として当時の痕跡が残されています。
江戸期の大軍事演習として全国でも珍しい規模でしたので、もっと知られて欲しい歴史でもあります。

住所〒310-0011 茨城県水戸市元石川町2736-9
アクセスJR水戸駅南口より車で約16分