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茨城の旧国名『常陸』という地名の由来

茨城県の昔の呼び名『常陸』とはどういう意味なのでしょうか?

天保国絵図常陸国

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茨城県の旧国名『常陸』の意味って何?

 

茨城県は明治維新以前は『常陸国(ひたちのくに)』と呼ばれていました。

今でも水戸や茨城県には日立市や常陸太田市など常陸に由来する地名や企業の名前が多く、県民にも親しまれています。

しかし、その名前の由来をご存知でしょうか?

茨城県最古、いや日本最古の地理書である『常陸風土記』において、地名の由来について触れられています。

それによれば「直通(ひたみち)が転じた」という説が語られており、東北地方が道奥(みちのく)とよばれたときは常道(ひたみち)とよばれ、陸奥とよばれると常陸(ひたち)と書き分けられています。

どちらにしろ、常陸国は東北地方に通じる平坦な道として知られており、どこまでも続く平坦な(常)陸という意味から「常陸」と呼ばれるようになったと思われます。

また「土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊に暮らし、まるで常世の国(極楽)のようだ」とも書かれており古くから物産の豊富な、住みよい地として有名であったことがうかがえます。

 

親王でないと国司になれなかった大国常陸

 

常陸国は、645年の大化の改新から国名として正式に名付けられますが、その地位はとても高く律令制下では「大国」とつけられ、親王任国でした。

つまり、常陸国は関東でも随一の大国として位置づけられ、その国司は天皇の親戚である親王が任じられるというように、律令制下の重要な要の地として位置づけられたのです。

その頃の常陸国の都は石岡の「府中」にあり、長い間、常陸国の中心地は石岡にありました。

それが、水戸に移ったのは、戦国時代末期に佐竹氏が水戸の江戸氏を打ち破り、本拠地を水戸に移したことに始まります。

以後、佐竹氏から徳川氏に支配が移ってからも常陸国は北方への要として、徳川御三家の一つともなり、明治維新に繋がっていきます。

 

東北へ通じる「直通(ひたみち)」は常世国とも呼ばれ、古代より土地が広く水も豊富で住みよい地として栄えたという意味が「常陸国」という言葉には含まれています。

ですから、常陸国が茨城県と改めたあとでも、様々な地名や企業などに美名として残り、今でも住みよい県として300万人もの人々の暮らしを支えているのです。

 

『常陸』とは、そんな「豊かで住みやすい要の地」としての意味が込められています。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。