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大日本史を軌道に載せた中興の祖
立原翠軒像稿 渡辺崋山筆 個人蔵 重要美術品
(画像はパブリックドメイン)
立原翠軒は1744年水戸市の武隈(今の竹隈町)に生まれます。
若い頃から学問に優れ、江戸彰考館に仕えるようになります。
立原翠軒は、それまで作業が停滞していた水戸藩の『大日本史』の編纂事業をまとめ上げ、ほぼ現在に近い状態の『大日本史』として軌道に載せます。
そのため彼は水戸史に置いては『大日本史』中興の祖とも呼ばれます。
彼の業績としては、藤田幽谷が『大日本史』を『史稿』という名に名義変更しようとしたのを止めたことや、水戸藩の藩政にも参加し、ロシアによる蝦夷地侵略への備えを説いたことなどが挙げられます。
彼の家系には有名な芸術家が多く、嫡男は水戸藩士で南画家の立原杏所、閨秀画家の立原春沙、子孫には昭和初期の詩人、建築家・立原道造がおり、芸術家が育つような家庭であったようです。
というのも彼はかねがね、家族を大切にし、「人の価値というものは家庭にいるときの様子で大抵わかる。自分の妻に怒り散らしたり、時に打擲に及ぶような者があるが、そうした人間は人の上に立つ資格がない者だ」と言っており、こうした彼の優しさが、彼の子孫に影響を与えたと思われます。
彼の編纂した『大日本史』の影響は水戸学に大きな影響を与え、藤田幽谷とともに江戸中期の水戸学の祖としても、評価されている人物です。
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