地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、水戸市・ひたちなか市の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

水戸市・ひたちなか市の地域情報サイト「まいぷれ」水戸市・ひたちなか市

水戸の観光・名所・名物を巡ってみよう

彰考館

江戸と水戸に作られた『大日本史』の編纂局にして最高峰の象牙の塔

彰考館は水戸藩が日本の通史である『大日本史』を編纂するために作られた修史局です。

水戸光圀が1657 (明暦3年) 江戸駒込の藩邸に史局を設けて着手し、これを小石川の藩邸に移して彰考館と名づけたのが始まりとされています。
後に1697年(元禄10年)に主な史館員を水戸城内へ移転させ、水戸彰考館(水館、水戸史館)を発足させています。つまり彰考館は江戸小石川藩邸の彰考館と水戸の水戸彰考館の二つがあったのです。

実力的かつ民主的に俊才を取り立てた運営

どちらも経歴や年齢を問わず最高峰の学識を持った人間が、投票によって彰考館の総裁となるように定められたというほどの実力主義が重んじられた組織でした。

総裁となった人物はいつも「投票がなくても選ばれたであろう」というほどの才能と学識を持っていたと言われています。

事実、彰考館の総裁たちには、立原翠軒、藤田幽谷会沢正志斎などの水戸学を代表する学者たちが並んでいます。

まさに水戸藩きってのエリートたちであり、一代で総裁までなった人物も珍しくない才能重視の組織でした。
明治以降も『大日本史』編纂は続けられ、彰考館も存続され1906年(明治39年)に編纂事業が終了すると、水戸の現在の常磐神社のあたりに彰考館文庫として保存されましたが、大戦中の水戸大空襲によって貴重な史料の大部分が焼け落ちてしまいます。
現在は残った史料とともに徳川ミュージアム内の彰考館文庫に引き継がれて、現在に遺されています。

住所〒310-0011 水戸市三の丸2丁目-6-8
アクセスJR水戸駅より徒歩で約9分

人気のキーワード