水戸の観光・名所・名物を巡ってみよう
お散歩にいい季節、「千波湖八景」で往年の千波湖を振り返ってみませんか?
水戸の観光名所と言ったら観光名所と並んで千波湖が有名でしょう。
市街地のど真ん中にこれほど大きな湖と公園がある街は珍しく、千波公園の大きさは都市公園として世界有数の規模を誇ります。
そんな千波湖ですが、現在の形になったのは戦後になってからで、何度も埋め立てられており、かつては三倍以上の面積を誇った大きな湖でした。
そんな往時の千波湖の佇まいは、水戸の人たちにとっては親しみと自慢の種でもあります。
水戸藩では徳川斉昭公が選定した「水戸八景」というものがありましたが、千波湖にも水戸光圀公が選定したという「千波湖八景」というものがあったのです。
出典は、松平俊雄(松平雪江)の編・画による『常磐公園攬勝図誌』という1885年(明治18年)に出版された偕楽園とその周辺の案内書です。
「緑岡」は現在の水戸市見川町の護国神社と徳川ミュージアムがある小高い丘陵地です。
七面山とは現在の偕楽園の好文亭のあった山です。そこから眺める千波湖は現在も絶景として知られています。
神崎寺は現在も水戸市天王町にある寺です。かって湖面はこの寺のすぐ近くまでありました。そこから暮れなずむ鐘を聞きながら眺める夕焼けの千波湖の絶景とのことです。
「下谷」は旧町名の奈良屋町(現在の宮町3丁目)辺りのことを指します。かつては舟着場があり繁華街としても知られています。
かって「梅戸崎」と呼ばれる岬が千波湖にはあり、千波大橋の市街よりにある崖がその岬とされています。「梅戸夕照」は、現在でもその付近から見える壮麗な夕日を表現したものです。
柳堤は「新道」とも呼ばれており、かつての千波湖の北東に存在していた、湖中に作られた土手道のことです。土手には柳が植えられていたことから「柳堤」と呼ばれるようになりました。柳堤が作られた経緯については「水戸の観光・名所・名物を巡ってみよう『柳堤橋』」で解説しています。
薮田は千波湖周辺の湿地帯であると解釈されています。かつて湿地帯があった場所(水戸市の台町、紺屋町、藤柄町、檜物町、江戸町、七軒町、本、通、裡)は下市と呼ばれており、現在は埋め立てられていますが、備前堀などで千波湖に通じています。
吉田神社の東辺りは、かつて藤柄と呼ばれており、この地区の松並木道の際まで湖面は迫っていました。現代では埋め立てられていますが、かつては千波湖東側に浮かべた舟上から吉田神社及び松並木を眺めたものと解釈することができます。
千波湖は昔から散歩やジョギングの盛んな場所ですが、昔から水戸市民にとっては絶景の多い場所として知られていたのですね。今でもかつて水戸市の南半分を占めていた広大な千波湖を思いながら、水の都水戸の歴史を振り返るのは素敵な体験だと思います。
参考・出典
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。