まいぷれその日暮らし【水戸情報】
もっと知られてほしい幕末最大の闇、それは水戸
内戦の末に賊軍の汚名を着せられ、上洛に唯一の活路を見出した天狗党の千余名は、愛すべき水戸の町を後に、京へ向かって苦難に満ちた大行軍を開始した。執拗な追手の攻撃、行く手を阻む厳寒の山河、続出する怪我人や病人。「京へ行けば逆賊の汚名を晴らせる」一途にそう信じて進む彼らの前に、絶望的な道程が待ち受けていた……。幕末に起きた天狗党の悲劇の顛末を、全編一人称の語りで描いた著者入魂の力作長編!
フォーマット: Kindle版
ファイルサイズ: 2615 KB
推定ページ数: 226 ページ
出版社: KADOKAWA (2004/8/13)
販売: Amazon Services International, Inc.
言語: 日本語
ASIN: B00N4M6AKA
こんにちはまいぷれ水戸の大澤です。
安政の大獄や桜田門外の変、会津藩の悲劇、土佐藩の勤皇党弾圧、池田屋や寺田屋の変、新選組の内部弾圧などなど、幕末には様々な悲劇や惨劇が溢れています。
別の見方をすれば、幕末とはテロと内乱の時代でしたから、それも当然なのかもしれません。
そんな中で、筆者が幕末最大の闇と呼ぶべきなのは、水戸藩の惨劇だと思います。
幕末史をかじった人は、「どうして最も初期に勤皇派になった水戸藩が、その後衰退して、薩摩や長州、土佐、肥前に手柄や明治後の要職を取られてしまったのか?」という疑問が起きると思います。
そして、それについて描かれたドラマやマンガや小説などはほとんどありません。
というより、たぶん描いても面白くもなんともならないでしょう。
なぜなら、あまりにも凄惨すぎて、感情移入の余地がないまでの惨劇だからです。
水戸は真っ先に尊王攘夷思想をかかげて、幕府に対立的な態度をとった藩ですが、水戸は江戸の目の前であり、幕府は様々な手段で水戸を分裂させようとしました。
その結果、幕府側の「諸生党」と勤皇派の「天狗党」に水戸藩の末端まで分割され、互いに凄惨なテロや暗殺を繰り広げて殺しあいます。それだけではありません、天狗党内部でも「鎮派」や「激派」など際限なく分裂して、殺しあいます。
そして、ついには追い詰められた「天狗党」が挙兵して、京都まで攻め上ろうとします。
これを山田風太郎は「魔群の通過」というタイトルで描いたのです。
「魔軍」ではありません、「魔群」です。天狗党は軍というにはあまりにも統制がとれておらず、各地で略奪と殺戮を繰り返しながら進軍ではなく「通過」していったのです。
天狗党は初期の理想や目的など忘れ去られ、ひたすら略奪と殺戮を繰り返す「魔群」として各地を「通過」していきます。
その末に、最大時で3000名にも膨れ上がっていった「魔群」は800人まで消耗し、幕府に投降し、鰊倉に下帯一本に限り、一日あたり握飯一つと湯水一杯という扱いで監禁され、352名が処刑されます。
これだけでも凄惨な幕末史でも類を見ない虐殺であり、また虐殺を招いた天狗党の関東での惨禍でした。
しかし、さらなる闇は、天狗党352名が虐殺されても終わりません、その後、水戸藩では諸生党が水戸の各地に残った天狗党の処刑を始めます。
それだけでは終わらず、戊辰戦争が起きると天狗党の残党が水戸藩の諸生党へ復讐をはじめ、さらに会津戦争の頃には脱出した諸生党が水戸に攻め入る「弘道館戦争」というものが勃発します。
その後も天狗党と諸生党、いやもはやこの時点では、ただ単に復讐と猜疑心の塊になっていた水戸では、互いにテロと殺戮を明治になっても繰り返し続けます。
幕末ではほとんどの藩が勤皇と佐幕に分かれて抗争をしていますが、水戸は真っ先にそれが行われ、やがては勤皇や佐幕といった目的も理想も忘れ去られ、最後には復讐心と猜疑心だけが残り、ただただ殺戮を繰り返すだけの存在になっていました。
水戸藩では尊王佐幕を問わずあらゆる人材が、殺戮の惨禍の中で失われ、感情移入できるような人物は存在しなくなります。
そのため、「幕末の水戸藩」はタブーというより「そもそも感情移入できるような人間が残っていない」という状態になってしまうため、小説やドラマやマンガの題材にもできないまま、ただただ「幕末史の闇」として空白になったも同然に語られなくなっていきました。
そんな一部始終を山田風太郎はひたすら淡々と救いも何も存在まま書ききりました。
読後感はただ無常です。
恨みあい殺しあった水戸藩に残ったのは、ただの闇となった歴史。
誰も語りようがない、語りたくもない歴史だけでした。
しかし、イデオロギーの対立の恐ろしさをもっとも知る地として、水戸の幕末の歴史はもっと知られていくべきだと思います。
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