まいぷれその日暮らし【水戸情報】
歴史上の有名人たちの墓が立ち並び、美しい寺院と庭園のある一度は行ってほしい地域です
こんにちは、まいぷれ水戸編集部の大澤です。
あまり水戸の観光案内では挙げられない場所ですが、ぜひとも水戸に観光に行くなら立ち寄って欲しい場所があります。
それが、この常磐共有墓地と回天神社を中心とする地域です。
「なんだ墓地かつまらん」
とか言わないでください。
実際に行ってみると、水戸藩の歴史が一同に会しているような、一見に値する地域なのですから。
もともと常磐共有墓地は、常磐共有墓地は1666年に徳川光圀の命によって作られた墓地です。
この墓地の特筆する部分は、無宗教の共同墓地であり、藩が定めた定格の墓地を藩士たちは無料で使うことができたことが挙げられるでしょう。
このため、葬儀や墓地に寺院からの負担がかからなくなったため、財政の苦しかった水戸藩士たちにとっては、とても助かる施策でした。
また、その御蔭で、現代に生きる我々は幕末の水戸藩の指導者的立場であった藤田東湖や、ドラマ『水戸黄門』の格さんのモデルになった安積澹泊など、水戸藩彰考館総裁の豊田天功、徳川慶喜の懐刀であった原市之進などなど、水戸藩で功績のあった人物や有名人の墓地をまとめて見学することができます。
このように一つの場所に一藩の有名人の墓地が集中している場所は、全国でも数少なく、それだけでも訪れる価値があると言えるでしょう。
特に常磐共有墓地の入り口近くに林立する多くの墓は、「水戸殉難志士の墓」と名付けられています。
天狗党の挙兵によって処刑された300人もの墓石が行列を作るように立ち並んでおり、その整然とした「墓列」に歴史の重みに潰されるような思いになります。
彼らもまた明治維新の礎として勤王に尽くした志士たちであり、その鎮魂のための墓列は、襟を正しくしてみたくなる思いがします。
『この墓は、元治元(1864)年の筑波山挙兵に関係した尊王攘夷の志士達が、志半ばに各地で処刑されたため、明治3(1870)年、その遺体を集めてこの地に埋葬したものです。その後、昭和8年には地元有志によって、安政の大獄以後の殉難者と合せて1785柱の忠魂塔碑が建てられ、昭和44年 回天神社となりました。なお、その後漏れた志士も合祀されました。』
(水戸市ホームページより引用)
更には回天神社とその隣には、天狗党の志士たちが素肌で押し込められた鰊倉(にしんぐら)を移築した、回天館などを見学することができて、幕末の水戸の歴史の凄まじさを知る事ができます。
そしてただ、重いだけではありません。
近くにはあじさいの美しい保和苑や二十三夜尊桂岸寺があり、その建築や公園の穏やかさに和むこともできます。水戸の人々たちもこのような光景に囲まれて、きっと安らかに眠っていると心慰められる思いがします。
歴史の重みと穏やかな光景が両立するこの一体は、偕楽園や千波湖に偏りがちな水戸の観光の中では、穴場と言える地域であり、県外や市外の知名度は低いですが、行ってみて損はないと思います。
ぜひとも水戸観光に立ち寄っていただければ幸いです。
これらの史跡や寺院などは、茨城交通で巡ることができます。
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