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回天神社

幕末水戸の血の闘争を今に伝える水戸の魂


回天神社は藤田東湖の『回天詩史』に由来し、昭和44年(1969)に創建された比較的新しい神社です。
幕末の水戸は徳川斉昭の先進的な改革と思想の下、幕末の中心思想である尊王攘夷を説いた水戸学の総本山として、全国から学者や武士たちがその思想を学びにきました。

先駆的な思想は血の闘争の歴史でもあった

しかし、その中心であった藤田東湖の死後、佐幕派の諸生党と尊王攘夷の天狗党の二派閥に分裂し、血で血を洗う内乱が繰り返されます。その内乱はもはや思想を離れ復讐と怨恨のテロリズムと化して、明治期に至るまで水戸藩内では内乱や略奪などによって殺し合いを続けました。そのため人材が枯渇し、水戸藩は維新や明治の歴史からほとんど無視されてしまうほどでした。
そんな血の闘争を慰霊するために作られた神社が回天神社です。

無惨なる水戸の幕末史を慰霊し続ける神社

その境内には天狗党の乱参加者が越前敦賀で降伏した後に、下帯一枚、握り飯と水だけを与えられ監禁された鰊倉(後に300名以上が虐殺される)が移設され『回天館』と名付けられ、天狗党の資料を伝える施設があり、柱と梁の一部や瓦は当時の材が使用されており、扉や板壁に天狗党員の絶筆が残されているというほど凄まじい施設です。
いわば幕末、ほとんど語られることがなかった幕末水戸藩の悲劇を今に伝える神社であり、明治維新が決して『無血革命』などという美名のものではなかったという爪痕を残す神社です。
歴史は綺麗ごとだけでは生まれないという事を知るためにも、一度は訪れておきたい、日本人なら目をそらしてはいけない歴史がここにはあります。

回天神社の由緒、すなわち「至誠」の碑です

回天神社の奥にあるのは、数多の犠牲者たちを慰霊する鎮魂碑です。

住所〒310-0052 茨城県水戸市松本町13-34
アクセスJR水戸駅北口より車で約8分

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