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水戸だけでなく関東全域で「備前」の名を遺す能吏
伊奈備前守忠次は、水戸の桜川と千波湖からの灌漑整備を行ない、水戸では「備前堀」の名前で名を残しています。
徳川家康の配下の内政上手として知られた人物であり、豊臣秀吉による小田原城攻めや朝鮮出兵における徳川軍の動員の際には、街道の整備や小荷駄による軍需物資の輸送を担い代官として重用されます。
彼が特に活躍したのは徳川家康が関東に移封された際には、関東を中心に各地で検地、新田開発、河川改修に貢献しています。特に利根川や荒川の付け替え普請、知行割、寺社政策など、江戸が徳川家の中心地として整備される基礎を作った人物であり、その貢献は計り知れないものがあります。
実は備前堀と呼ばれるように伊奈備前守忠次の名から備前渠や備前堤と呼ばれる運河や堤防など、「備前」の地名が関東各地に残っていますが、そのほとんどは伊奈忠次に由来します。
農民に炭焼き、養蚕、製塩などの商品作りを勧め、他にも桑、麻、楮などの商品作物の栽培方法を伝えて広めたため、農民たちからも神仏のように敬われてたといいます。
現在彼の姓は茨城県筑波郡伊奈町(現在のつくばみらい市伊奈地区)の由来となっており、水戸だけでなく茨城や関東の歴史にも欠かせない人物であると言えるでしょう。
住所 | 〒310-0816 茨城県水戸市紺屋町1丁目13−1385 |
アクセス | JR水戸駅より車で約6分 |