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吉沼磔刑場

水戸藩の重罪人を磔刑にした痕跡をわずかに留める地

 

天狗党の乱は水戸の人間にとっては闇の歴史そのものとなりました。

その大きな原因は天狗党の乱そのものよりも、水戸市内で天狗党の乱参加者で水戸藩に引き渡された130名を含む天狗党の参加者の家族たち約350人もの大規模な処刑が行われた事と、さらに王政復古後に武田金次郎などの天狗党の残党が、今度は諸生党に対して復讐の粛清を行なって、多くの犠牲者を出した事にあります。
このため、天狗党の乱後には、普段は吉沼(吉沼町)や千束原(酒門町)で行われた処刑が間に合わず、赤沼牢屋敷で直接処刑が行われたり、吉田境橋行刑場、向井原刑場、六万原処刑場など、などの数多くの地で天狗党の乱の処刑が行われました。
もちろん吉沼の磔刑場でも盛んに処刑が行われました。

現在は何も残されていないがところどころに痕跡が……

現在はなにもない緑地となっていますが、かつては吉沼磔刑場としてここへ渡る橋を「地獄橋」と呼ばれたそうです。

周囲が農地になっていますが、磔刑場跡だけは一切開発されていないまま残されているのが、逆になによりもかつての惨劇を証明していると言えるでしょう。
現在でもその「地獄橋」は「境橋」という名前で残されています。

そして、新川と名付けられている小さな川もかつて「冥加淀」と呼ばれた死の匂いのする川でしたし、昭和期まで白骨死体がみつかっていたそうです。

そして境橋を渡った先には、「渋井の土壇場」と呼ばれる斬刑場及び、埋葬地が存在しています。

今も変わらぬ流れに白骨死体が見つかったことも

この橋を渡った先に埋葬地である「渋井の土壇場」があります

現在は「境橋」と呼ばれていますが、かつては「地獄橋」と呼ばれたそうです

住所〒310-0826 茨城県水戸市渋井町
アクセス大洗鹿島線東水戸より徒歩で約10分

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