【水戸】水戸の観光名所・名物ベスト100【観光・名所・名物】
水戸生まれ水戸育ちの生粋の水戸っぽたちが真面目に選んだ水戸100選
常磐共有墓地は、藤田幽谷・東湖父子、豊田天功、茅根寒緑や、桜田門外の変・坂下門外の変などに参加した水戸浪士の墓が並ぶ共有墓地です。さらに1870(明治3年)には天狗党の乱によって処刑された水戸藩士の墓が集められ埋葬されました。
特に天狗党殉難の志士たちの墓は二箇所に分かれて整然と隊列を組むかのように並んでおり、歴史の凄まじいオーラを感じる壮絶にな光景になっています。
「三栗(みつくり)の中に向へる曝井の絶えず通はむ彼所(そこ)に妻もが」と現存する最古の万葉集に高橋連虫麻呂の作とされる歌の舞台が、水戸の水戸市愛宕町にある湧き水である『曝井』です。
吉原殿中という名前から、江戸の風俗街であった吉原が由来だと思っている人もいるでしょう? 実はこの吉原というのは、人名でしかも女性の名前です。
もち米から作ったあられを水飴で固め、丸い棒のようにして、きな粉をまぶしたお菓子は水戸の名物として有名です。
水戸駅北口から商店街沿いすぐに水戸東照宮の鳥居があり、その鳥居を入り口として水戸東照宮へと通じる商店街が通称「宮下銀座」です。東照宮の下にある繁華街ということで「宮下銀座」と名付けられたこの一帯には、かつては水戸でも屈指の繁華街として昭和期に栄えました。
第60位
本間玄調は水戸藩の藩医で、漢方だけでなく西洋医学も杉田立卿、箕作阮甫、高階枳園、華岡青洲、シーボルトといった江戸時代の西洋医学の先駆者たちに学んだ医学者です。
水戸で最初に種痘を普及させた偉大な医者でした。
第64位
1692年(元禄5年)に水戸光圀によって開基した曹洞宗の寺院です。境内には心越の墓塔、1694年(元禄7年)建立の穢跡(えせき)金剛尊天堂などが残されており、春には桜の名所、秋には紅葉の名所ともなる、華やかなお寺です。
第68位
竈神社は奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、中御方命(なかみかたのみこと)を祭神とする神社です。
古くから水戸城内に三宝荒神として祀られていましたが、1690年(元禄3年)に徳川光圀の命により現在の場所に遷され、さらに徳川斉昭によって三宝荒神から竈神社と名称が変えられました。
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